そして、宿に戻ってからのお話も、前回の続きからとなります。
■ 長谷寺のご本尊(十一面観世音菩薩座像)に宿る観音菩薩様との対話
(【長谷寺の観音菩薩様から皆様へ(その1)】のつづき)
管理人:
この霊媒が霊媒能力を本格的に発揮し始めてから数年経つのですが、何故あえて今この時期にお招き頂いたのでしょうか。
私たちは今、「霊界と地上界を繋ぐバチカンの拠点が開放されます」ということで、その中で霊界と地上界を繋ぐパイプ役の一部を担っていると言うことになるのですが、その活動とは何か関連があるのでしょうか。
長谷寺の観音菩薩様:
今、世界の状況が目まぐるしく変化する中で、大勢の方の声・思いが届いています。
その中でも、“恐れる思い”が今一番強く出ている。
そういう中にあって、ありのままの姿を見つめるきっかけを持てることで、“恐れ”というものが“目標”とか“希望”に、己の中で昇華させることが出来るようになるから、そういう声を分かり易い形で届ける必要がある時期なのではないかと思いました。
管理人:
その「声や思いが届く」というのは、全世界的にそういう傾向が見えると言うことでしょうか。
長谷寺の観音菩薩様:
全世界的に。
管理人:
今、長谷寺があるのは日本国内ですし、私たちは日本国民ですから、日本国内の皆様に向けて「長谷寺の菩薩様がこの様に述べておりますよ」という紹介は出来ると思います。
長谷寺の観音菩薩様:
教義として出来上がったものを長い間伝え広めてきた状態だと、やはり足りていない部分とか、今必要な解答とはズレている部分が出てきます。
基本的な部分は教えられているのですが、経験を積んでいないと理解するのが難しくなってしまう。
分かっている人は、その一文を読んだだけで"十"分かる。
しかし、分からない人にとっては、その一文に書かれていることを知るのがやっと。
管理人:
その一文とは、仏教でいうと経典・経文のことですね。
長谷寺の観音菩薩様:
そうするとやはり、理解するにはちょっと難しい。
管理人:
基本的な部分は同じなのだけれども、昔と比べると私たちも少しずつ成長しているじゃないですか。
そうなると、昔世に出された経典・経文だけでは足りない部分が出てくると思います。
そういった足りない部分を補いたいという意図もあるのでしょうか。
長谷寺の観音菩薩様:
そうですね。
やはり、こういった知識は一部の限られた人達のものではなくて、生活の中で生かしてゆく、生活の中に溶け込んでいる姿が一番自然な姿であると思うので、より分かりやすくお伝えしたかった。
管理人:
では、今回はとりあえず「霊媒との繋ぎをつけたい」との意図で、お招きに預かったと受け取りました。
そして、今お話の点について、「もう少し考えてみてはいかがでしょうか」ということであったと思いますが、今後も折に触れて色々なお話を聞かせて頂けるということでしょうか。
長谷寺の観音菩薩様:
必要があれば。
長谷寺はお寺で仏教だけれども、他にも神社や教会などがあるでしょう。
そういう違いはあっても、霊界は連動して動いている。
他の方の説明で十分説明が尽くされているなら、敢えて触れることはない。
管理人:
では、こちらからお伺いしたいことがある場合は、それに答えて頂けるのでしょうか。
長谷寺の観音菩薩様:
答えられる範囲内で。
場合によっては、お話してもまだ、今の人間の状態ではよくわからないことがあります。
そうすると、言葉を伝えている相手が人間の方(=霊媒)ですので、言葉にできない。
管理人:
つまり、人間の知識の限界を超える事柄は伝えようがないということですね。
長谷寺の観音菩薩様:
ですから、お寺などに来ていただいて、直接霊の部分に訴える、霊同士の関わりを通じてであれば、言葉で説明できなくても通じ合わせることができます。
しかし、「言葉で説明していただきましょう」となると無理があるので。
ですから、直接赴いていただければ、言葉で説明できない部分にも働きかけることはできます。
管理人:
それは、今の状態では認識することすら出来ないかも知れないけれども、この後亡くなってしまって、肉体との繋がりが解けた時に「そういえばあの時!」と理解することができるのでしょうか。
長谷寺の観音菩薩様:
そういう場合もあれば、肉体を持っているうちに理解できることもあります。
管理人:
日常生活を送っているうちに、ふと気づく?
それが以前、「長谷寺へ赴いた時に教えてもらったのか」とは思わなくても、ふと気づく。
そして、気づいたきっかけを遡っていくと、実は長谷寺を訪ねた時に、霊的な働きかけを通じて教えてもらっていたのかも知れないですね――ということでしょうか。
長谷寺の観音菩薩様:
はい。
管理人:
では、今回はそろそろ終わりたいと思いますが、何か話しておきたいことはありますか。
霊媒M:
あぁ、何で転けたかが判明。
(長谷寺を後にする際、霊媒が参道の石畳の隙間の凹みに足を取られて転けるというハプニングがありました)
管理人:
何で転けたのでしょうか。
長谷寺の観音菩薩様:
人は転ぶと起き上がりますね。
一度転んでもそれで終わりではないのですよ。
起き上がる意思があれば起き上がれますよ、前に進めますよ。
今躓いてしまったからと言って、そこでそんなに深刻に考えなくても、ちゃんと起き上がれますよ。
ちゃんと立ち上がって前に進めますよ。
後は、自分次第。
自分が起き上がろうとするかどうかですよ。
(2010年9月24日)
前回、今回と二回に分けて、長谷寺の観音菩薩様のお話をご紹介いしましたが、いかがでしたか。
特に今回の記事の中にありますように、私たちが神社・仏閣などの霊的スポットを訪ねた際、実は気付かないうちに何らかの霊的な働きかけを受けており、その結果が別の機会に「新たな気づき」として実を結んでいるのかも知れません。
私たち人間にとって、その因果関係は分かりにくいのですが、何か特定の信仰がある訳ではなく、観光の一環としてその様な施設を訪れた方であっても、その場所を訪ねることによって得るものがあるようです。
長谷寺の観音菩薩様も、皆様が訪ねるのをお待ちしているようですので、機会を捉えて訪ねられてはいかがでしょうか。
【Silvercord】管理人
4 件のコメント:
管理人様
こちらの記事とは違う話題で申し訳ございませんが、
本日は中川昭一先生の一周忌となります。
もしお差支えなかれば中川先生にお伺いをお願いいたします。
尖閣諸島の問題に関してどのようにお考えでしょうか?
昨日の尖閣諸島のデモは東京だけでも2,670名(警察発表)動員いたしました。このデモは全国各地で行いましたので、総計になると5,000名を超えると思います。しかし現職の国会議員は誰一人として参加せず(事前に全現職議員には連絡をしたそうなのですが民主党はもちろん自民党、たちあがれ日本等保守派の議員さえもです)は、本当に命がけで対応する気があるのか?情けない状態です。また経済界も目の前の利益だけにつられてことの本質を踏まえずに中国に迎合するようなコメントをだしております。
国民がこれだけ立ち上がってきているのに中国と交渉が可能なのに国民と一緒になって活動をしない議員や財界人、そしてこれだけの大規模デモを一切報道しないマスコミに対しての見解と今後日本国民として我々ができることすべきこと、そして一周忌を迎えた今先生から何か我々にメッセージがあれば是非お聞かせいただきたく存じます。
こんにちは
素晴らしい尖閣諸島のデモがあったことを今日知りました。
立ち上がった人たちはこれからの日本再生への起爆剤となっておられますね。
それを無視するマスコミはいつもながら狂ってますねぇ。
やっぱりなぁと思います。
今日の感想ですが、七転び八起きということばを想起しました。
どんなに転んでも最後は立ち上がれば、負けではありません。
そういう意味に聞こえました。
今私の目にも、実害はあるけれど中国という国は怪しげな色の造花のように見えます。ありったけの力で表面だけ取りつくった国、とうの昔に統治の崩壊に来ているのに中華という幻想にすがっている。そしてそれは悪しき意図で人工的に作られたはりぼての国。
皆様にとって本当に世界に残したい文明は何ですか。その本質はどういうものでしょう。
その入れ物である国とはどういう姿が望ましいのでしょうか。
本当に残したいものがあるのなら、そうする為に自分は何をするべきでしょう。
そこに焦りはないと思います。焦りは自我から来ますので・・・失礼いたしました。
嘉智子様
記事【皆様にしか出来ない事と、政治家や財界人にしか出来ない事】を投稿しましたので、ご覧下さい。
10月3日15:21投稿の匿名様
『七転び八起き』――確かにその通りだと思います。
但し、転んでしまった時にただ起き上がるだけではなく、「何故転んでしまったのか?」、「次に転ばない為にはどうしたらよいか」を考えてみる事には意味があると思います。
転んでも、タダでは起きないという事です。
コメントを投稿