■ たらこ様の質問
ところで記事とは関係のない質問なのですが、宜しいでしょうか。
このブログや本サイトの主旨である
バチカンの開放に伴う霊界との協力体制という活動は
管理人様と霊媒M様のお二人だけで行っているのでしょうか?
この日本の中だけでも、様々なスピリチュアルのブログやサイトがありますが、そのようなお話をしているところを見たことがないので、常々疑問に思っておりました。
また、サイトごと、霊能者ごとに、話している内容が様々で、中には民主党を擁護しているようなものまでありますし、私から見てお花畑なことを言っているなあと思う内容もあります。
・・というよりも、このブログのように、政治や国のことについてこれだけ突っ込んだ内容が話されているブログの方が珍しく、そこが個人的には非常に興味があり、また今一番知りたい情報であるので、とてもありがたいです。
霊界の皆様は、他の霊能者の方達にも働きかけているけれど、今のところそれに協力できる、その意志を受け取ることができるのはお二人しかいない、という状況でしょうか?
もし宜しければ、今の日本のスピ状況も含めて、お答えしていただければと思っています。
どうぞ宜しくお願い致します。
■ 『バチカンの拠点開放に携わる霊団』の回答
「過去の時代にも、様々な方々を通じて、霊界からの言葉が皆様の世界にもたらされてまいりました。
私どもの言葉を受け止める事が出来る方々は、大抵の場合、スピリチュアルな事柄に対する関心が高く、過去に伝えられた霊界通信にも詳しい場合が多いのですが、そうなりますと、そこで一つの問題が生じてまいります。
一種の“先入観”が出来上がってしまいやすく、そうなると、どうしても物事を判断する際に柔軟性を欠いてしまいます。
その結果として、新たなる知識―――(過去の霊界通信に詳しい霊媒は特に)あるはずの無い情報がもたらされた場合、その“先入観”が霊媒の思考を働かせて邪魔をしてしまい、上手くこちらの意思を受け止める事ができなくなります。
霊媒自身の考え方が柔軟であり、『ありのままを受け止め、後でじっくり検証してみる』くらいの感覚の持ち主でなければ、新たな知識を受ける事は難しいのです。
無意識下での働きのようですが、大抵の場合は霊媒自身が導き出したい結論を予め決めており、それに反した情報は受け付けないようです。
基本的に、自己主張が激しい方は霊媒には向いておりません。
気負わず、決め付けず、ありのままを受け止める心を育てる事が、新たなる知識を受け止める必要最低条件となります。
それ以前に、霊界通信を受けたという事のみに注目して満足してしまい、通信の中身を検証しようともしない方が殆どですので、それではこちらとしても、手間隙をかけて通信網を整え、維持をする意味がありません。
何度か注意を促しても態度が改まらない場合は、手を引かせていただいております。
さて、今回のバチカンの拠点開放プロジェクトは、皆様の世界で大きな出来事であるのと同じ様に、私ども霊界でも“一大プロジェクト”といえる出来事なのです。
ですから、長い時間をかけて、大事に、大事に、一つひとつの作業を丁寧に行ってまいりました。
作業をお願いする霊媒も、こちらで厳選した可能性のある方々に対し、丁寧に働きかけて育ててきました。
ですが、私どもの要望に応えてくださる方は本当に極少数です。
例え応えてくださったとしても、本格的に活動するまでに至らないうちに駄目になってしまう場合も多く、実際に活動をするまでに育った方はこちらの方が最初ですね。
我欲を満たすために霊界通信を利用されるような心がけの方では勤まりませんので、その段階で私どもの方が手を引いてしまう場合が殆どです。
それと、例え私どもが要求する条件を満たしている霊媒でも、既に違う役割を担っておられる方は私どもがもたらす情報を受ける事はありません。
無制限に、無秩序に、誰にでも情報を流してしまうと、この世界に混乱をもたらしてしまうので、霊媒の皆様にもそれぞれにきちんと役割が決まっているのです。
霊界通信は、通信霊媒の素質があれば誰でも受け止められるというわけではなく、霊媒自身が人間として多くの経験を積み、より成長しようと努力を重ねる必要があるのです。
人間として成長すればするほど、より詳細な知識を受けことが出来るようになります。
逆に努力を怠れば、それまで支援していた霊団が手を引いてしまうので、その後釜についた未熟な霊の玩具にされ、徐々に能力も衰えてしまいます。
最も重要なのは、霊界からもたらされた情報であるという事よりも、その“情報の中身”であり、そこで“何が語られているのか”という事の方が余程注目に値することなのです。
霊媒に対して特別意識をもって接する事はとても危険です。
霊媒も皆様と同じ人間であり、霊界通信を行う術を身に付けているだけに他なりません。
皆様の世界にも、あらゆる技能を身に付けている方が大勢おられるでしょう?
国家資格などがあって、その試験にパスすれば特殊技能者として働けるでしょう?
霊媒もそれと同じです。
私ども霊界側で素質のある方に対して霊媒としての資格試験を行い、それにパスした方が活動しているだけなのです。
一度試験にパスしても、役割を放棄し、身勝手な振る舞いを続けるような事があれば資格を剥奪されます。
これも皆様の世界と同じでしょう。
例え霊媒の素質があっても、ご本人が望まないのであれば無理強いする事はございません。
その様な場合は早々に引き上げて、他の可能性がある方に働きかけることになります。
霊媒ごとに話している内容が異なるのは当然のことで、例え源は同じでも、その受け止め方は霊媒の成長度合いに大きく影響されますので、仕方の無い事なのです。
一見すると違いがあるように感じられても、きちんとした情報源から得ている情報には必ず共通するものがございますので、熟読する事で見えてくるものもあるでしょう。
霊媒の成長云々以前に、嘘偽りを広める目的で“スピリチュアル”と称して好き勝手な事を語っている場合もございますので、くれぐれもご注意くださいませ。
その様な場合は一目瞭然で、内容を検証してみればすぐに分かる事です。
辻褄の合わない支離滅裂な事を語っていたら疑ってみた方が良いかもしれません。
上記でも述べた通り、私利私欲に走ってしまった霊媒の場合はきちんとした霊団からの支援が受けられなくなりますので、その隙を突いて未熟霊が入り込んでしまいます。
その様な場合も、辻褄が合わず支離滅裂な事を語っているので、例え巧妙に語られていたとしても注意していればすぐに見分けがつきます。
皆様が何らかの情報を扱う場合に、例えどのような肩書きの方の言葉であったとしても、判断をする際に注目すべきはその中身であって、その肩書きが立派であるからと言って惑わされるわけでは無いでしょう?
例え表面を立派に装ってあっても、その中身が必ずしも立派であるとは限らないのは皆様も良くご存知のことでしょうから。
霊界通信も皆様の世界の情報も、判断する際に気をつけるべき点は何も変わらないのですよ。
霊的真理というものは、皆様の生活をより豊かにするための知識であり知恵なのです。
決して、皆様の世界からかけ離れた突拍子の無いものでもなければ、その意味も確かめずに崇めて言う通りにしてれば良いというものでもありません。
何故、善であると言われているのか、何故、悪であると言われているのか、その意味をきちんと理解する必要があるのです。
その為には、時として無駄に思えるような時間を過ごし、とことんまで経験してみる必要があります。
物事の本当の価値を知るには、時には一度手放してみる必要もあるのです。」
(2010年10月15日)
霊媒については、
さて、たらこ様の質問には「この日本の中だけでも、様々なスピリチュアルのブログやサイトがありますが、そのようなお話をしているところを見たことがないので、常々疑問に思っておりました。」とありますが、だからこそ当Blogを続ける意義があると考えております。
スピリチュアルの看板を掲げつつ、霊的な存在と現実社会が密接な繋がりを持っている現状をお伝えし、霊的知識を皆様の日々の生活に役立つ知恵としてお届けする事を通じて、ご覧の皆様にも霊的な存在との繋がりを実感できるきっかけとして頂ければと思います。
【Silvercord】管理人
4 件のコメント:
霊媒様、管理人様、霊団の皆様
お忙しい中、早々にお答えいただきありがとうございました!
やはり、この活動に関わるのはごく少数なのですね。
バチカンうんぬんという具体的な内容はなくても
共通するものを感じるサイトやブログは確かにあります。
その中でも特にお二人の活動は、今後の日本にとって重要なお役目を担っていくのだろうと思っています。
特に民主党政権になってから、今後の日本がたどるであろう困難な状況の中で
その道筋を照らしてくれる一筋の光として、これからもこのブログで色々と学ばせていただきたいと切望しています。
様々なご苦労の中、私たちに情報を提示してくださりありがとうございます。
たらこ様
当Blogに投稿する記事に注目して頂くのは、運営する私たちとしましても大変励みになります。
反面、スピリチュアルを扱うサイトやブログの中で、私たちが皆様にお伝えしている霊界通信に通じるものにはなかなかお目にかかれませんので、その点に懸念を感じているのもまた事実です。
霊界の住人を通じてでなくては知りようのない霊界事情についてはともかく、私たちの生活とも関連の深い物事については、それほど特別な事を述べているとは思いません。
私たちがほんの少しだけ視点を変えてみたり、視野を広げてみる事によって、誰もがご自身の試行錯誤の末に気付く程度の事だと認識しております。
当Blogをご覧の皆様の中にも、いずれ情報を発信する側に立つ方が現れる日が来るのを期待しております。
いつも興味深く拝読しております。
近年スピリチュアルへの関心が高まっており、
物質的価値観のみではなく精神的価値観も重視しようという考え方が多くなってきているように思います。
確かにそのようなブログやサイト様も増えてきました。
ただ私が少し違和感を感じてしまうのが、
愛情、平和、希望、「許し」や「受け入れる」など、
人の光の部分のみに焦点を当てていこうとする事が多いことです。
そして対極にあるものとして、怒りや憎しみなどは悪いものとされています。
もちろん「人は鏡」という言葉もありますし、
プラス面に焦点を当てることは非常に大切な事だとは思います。
しかし、現在の日本の状況を考えると、
そればかりでは無理なのではないかとも思うのです。
日本が今まで抱えていた問題が噴出している今、
怒りや悲しみや不条理さを感じる事が多々あります。
例えば、最近の中国の行動に対して到底受け入れることはできません。
(中国の全国民を否定するつもりはないですが)
愛情だけではとても解決するように思えないのですが、
いつかそういう時が来るのでしょうか?
それとも全ては私の捉え方次第なのでしょうか?
目の前の厳しい現実の中で、希望や進むべき道を探し歩んでいく事が
必要だということなのでしょうか。
まとまりのない文章になってしまいましたが、
よろしければ、ご意見を聞かせて下さいませ。
10月19日0:33投稿の匿名様
なかなか鋭いご意見であると思います。
スピリチュアルをテーマとした他のサイトやブログを余り閲覧する機会がありませんので、他のサイトでどの様な内容を扱っているのかは分かりません。
しかし、匿名様のご指摘の通りだとすると、ちょっとバランスを欠いていると思います。
人には様々な感情があり、そしてそれぞれの感情に対応した感情表現があります。
その中で、穏やかで落ち着いた側面、あるいは楽しかったり、温かかったり、明るい側面に焦点を向けること自体は良いでしょう。
しかし、幾らそういう側面にばかり目を向けていても、怒りや憎しみの感情を遠ざける事は出来ません。
むしろ、そういった一般にネガティブとされる感情の動きにこそ人間の本質が隠されていると思いますし、人間の感情が働く仕組みを理解するには格好の材料ではないかと思います。
そして、人間の感情が働く仕組みについての理解が深まれば、ある程度感情をコントロールする事が出来る様になります。
このテーマについては、私自身の経験から思うところもありますが、今回はこの程度とさせて頂きます。
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