■ 匿名様の質問
失礼いたしました。確かに質問の趣旨が曖昧でしたね。
私が篤胤の著作を読んで感じたことは先にも書きました通り、彼の生きた時代はある意味で(大多数国民と神道との関係において)現代の日本と共通する部分があるのではないかということでした。宗教といえば仏教を意味した時代、神道などにのめり込むのは変わり者か物好き程度にしか見られず、また西洋の学問をかじった人々からは、古事記に書かれているような神話は非科学的で信じがたいと疑義を呈されていたようです。しかしその一方で神道に関心を持つ人々が増えてきていることへの期待の念も示されていたように思います。
篤胤の死後日本には激動の時代が訪れ、明治政府により国家の管理下に置かれた神道は、先の大戦以後米国による洗脳工作の影響もあり再び多くの国民から忘れ去られてしまいました。
もしも篤胤の霊にお話ししていただけるのでしたら、自分自身が生前思い描いていた日本の将来像と今の日本の現実とにどれだけの乖離があるのか聞いてみたいのです。また伝統を重んじ祖先を敬う心を失ってしまった(と私には見える)今日の日本の大衆を見て、篤胤の生きた時代と比較して今の日本人は堕落してしまったと感じられるのか、或いは相対的に見れば日本人は確実に進歩していると思われるのか、そういった点についても意見をお聞きしたいのです。
■ 『平田篤胤』と名乗る霊の回答
「物事の是非を判断する場合は、何を主軸に据え、どこからどこまでの時間の経過を辿るのかで下される判断が180度変化してしまいます。
理想はあくまでも理想であり、現実ではありません―――が、弛まぬ努力により、現実を理想に近づける事は可能です。
さて、それでは本題へとまいりましょうか。
私が生前に思い描いていた日本の将来像と、現在の日本の姿にどれ程の乖離があるのかとお尋ねでございますが、型を第一に求めるのであれば大きく乖離していると判断されるでしょうし、人間の内面に宿る精神を語るのであれば必ずしも乖離しているとは言えないのでは無いかとも思われます。
私から見た現在の日本は確実に進歩を遂げていると思われます。
日本もまだ完成途上の状態ですから、現在の状況を最終到達点へ向かうための通過点と考えれば妥当な成長を遂げていると思われます。
大切な事は、決められた型を変わることなく維持する事ではなく、日々変化する日常生活の中でそれらの精神が活かされていることであると思われます。
そして、その精神には決まった目印があるわけではないので、一見違うように見える場合でもきちんと活かされている場合が少なくありません。
最初から決まった型に当てはめて世の中を観察するのではなく、もっと柔軟な心で世の中を観察してみると、今の日本が持つ素晴らしい面が良く見えるようになると思われます。
どのようなものでも、大切に護り受け継いでゆくには柔軟性が要求されます。
何時までも決められた型に固執し、それとは相容れないと思われるものを弾いていては何れ大切なものまで絶えてしまいますから、基礎を護りたければ護るための努力が必要になります。
そもそも、それらの精神はこの世の最も根源的なものと深く関わりのあるものですから、この世に存在するものであれば相容れないものなど無いはずなのです。
一見相反しているように見えるものであったとしても、どのような現象にも必ず何かの意味や役割が存在しています。
それは相容れないのではなく、皆様の思う反応と違うから相容れないと思っているだけなのです。
思う反応を引き出せないのは、相容れないからではなく知識不足で経験不足だからです。
それを相容れないと思ってしまうのは、人間であるが故の視野の狭さなのでしょう。
こればかりは皆様にはどうにもならない事ですから、意識して広く深く世の中を観察するように努める事が大切であると思われます。
この世の中で起きている様々な現象は全て共通の源へと通じているのですから、注意深く観察していれば多くを知る事ができるでしょう。」
(2010年10月28日)
今回の回答は以上ですが、霊媒によると『平田篤胤』と名乗る霊は「まだ話し足りない」と感じているようです。
しかし、霊界通信というコミュニケーションの方法に慣れていないからなのか、なかなかうまく話が通じていないようです。
とはいえ、今回の回答は、質問者の匿名様にとっては非常に考えさせられる内容となっているのではないでしょうか。
【Silvercord】管理人
11 件のコメント:
管理人様
平田篤胤霊からの回答を掲載していただきありがとうございます。今から外出せねばなりませんので、後ほど改めてコメントを書かせていただきたいと思います。
せっかく私のリクエストに応えていただきましたので、失礼なことがあってはならないと思い、記事を拝読したことのご報告だけ先にさせていただきました。
今改めて平田篤胤と名乗る霊からの回答を読ませていただきました。正直に言いまして私には難解すぎて、内容を正確に理解できているか心もとないのですが、物事をあらかじめ定まった型にはめて見るのは良くない、柔軟な心構えが必要だという趣旨には大変納得できました。
篤胤の霊自身もかつて人間として著述に励んでいた時と比べ、霊界の住人となった今はもっと広い視野で物事を見ているのだろうと感じました。
平田篤胤霊、お話有り難う御座います
まだまだ話足りないと話を結んで頂いた
様ですので 質問させて頂きます
興味をお持ち頂けたら幸いです
僕が最近考え込んでしまう事は
日本は敗戦という歴史の断絶の後に訪れた
『近代化』に世界一スムーズに適応したと思います
しかし、そこで上手く行き過ぎ、その時代の
思い出に執着し過ぎている方々が既得権
を握り続けている事が弊害を生み、育てている
様に見えてしまい仕方がないんです。
まるで 『永久不変のシステム』を獲得して
『生存』をしていく上での最低限の『緊張感』
さえ持ち続けたら異端のレッテルを張られる様な
閉塞感に締め付けられて日常を過ごしています。
そして、今現在の現実は既得権を持っている
お歳より世代がこの 『永久不変のシステム』
の次の物が解らず、なんとか自分だけでも
逃げ切ろうとヒステリックになってしまってる
様な結末です。
違和感は感じている。
今まで上手く行って来た。
影響力は失いたくない。言う事を聞け。
が今の既得権を握った世代の方々の
本音ではないでしょうか?
こういう自分の自尊心や世間体に
下の世代がやる気を無くしてる事が本当に
怖いんです。
僕も父には話は通じない と諦めています
認めたら自分の人生がまるで意味の無い様な
錯覚に襲われるような空しさは想像は
出来ますが自分の安定の為に犠牲に成れ!
と言われている様で無力を感じます
父や母が乗っている泥舟で向こう岸まで
たどり着けるのはあなた方だけ
下の世代の人間には無理なのに。
社会の変化に着いていけなくなったから
『強情』になる。
これが無縁社会の正体なのでしょうか?
社会システムが文脈を作るが
過去の物になったシステムが
コミュニケーションの弊害になっている
可能性についてどうおもわれますか?
問題は次の変化を社会全体が
認識して行く様な『行動』
とははたしてなんぞや?という一点に
絞り込む時期に来たのではないでしょうか?
営利企業のマスゴミ様は相も変わらず
『そのままでいいんだよ』
『安心していいんだよ』
と受けてに媚びへつらう姿勢で変化を
拒んでいます。
『近代化』に最適だった社会システムは
僕たち人間が『進んだから』
変則的でアンバランスな社会システム
に成っていった。
それだけの話の様な気がして仕様がないんです。
まるで誰かにサイドブレーキをかけられながら
走らされてる気分です。
どうも僕たち日本人は
車で例えたらアクセルとブレーキには
問題はそれほど無くて
ハンドル操作とカーナビゲーションに
問題が有るんじゃないか?
と感じています。
話が滅茶苦茶になってきました。
ご興味お持ち頂けたらご回答お願いします
no.1のコメントの方とは
別人でございます。
10月30日21:52投稿の匿名様
上の回答にある「柔軟性」とは、『平田篤胤』と名乗る霊が死後の視野の広がりに伴って感じるようになった様です。
そして、今私たちに向けて同様のメッセージを伝えるのは、平田篤胤霊から見ると私たちの考えや行動の中に「柔軟性に欠ける」と思われる部分があるのでしょう。
回答では具体的に述べておりませんが、思い当たる節がないかどうか考えてみてはいかがでしょうか。
10月31日0:33投稿の匿名様
質問は承りましたが、回答までにしばらく時間が掛かりそうですので、お待ち下さい。
平田篤胤様
はじめまして。二つほど、ああなるほどと思いました。
普遍な理を心に留めたら、日々の中で柔軟に具現し活かすという事が求められていると近年思って過ごしています。 日常の他者との関わりの中で、形にとらわれすぎて反目しあい、物事が停滞し士気が下がるという光景を何度も見てきました。そこで自分が行動できる範囲でしかありませんが、視点を変えて(大抵は精神的に少し離れたところから観察するのですが)一つ一つを見てみると、「一見違うように見える場合でもきちんと活かされている場合」もあり、反目の必要がない事例もありました。
「この世に存在するものであれば相容れないものなど無いはず」が原則だとして、では何が相容れなくしているかを観察するのは興味深く有意義です。
子供の頃、父と姉とトランプカードで遊んでいた時に、悪いカードばかりを集まってしまい落ち込んでいました。ところが最後には悪いカードがすべて集まり、それが転じて勝ちになったのです。私はそのルールや自分の状況を把握できていないでいたので悲しくなるばかりでしたが、ルールを知っている父が、途中からは配慮してくれていたのか、最後に誉めてくれました。このことは、一側面だけでは物事は決まらないんだよということを心の隅に刻んでくれたように思います。
物事を短絡的に判断せず、ありのままをしっかり把握して、自分の常識での判断と、それ以外の可能性を広く見る意識を持つことは、他者、他国を分かるために有効ですし、自分の可能性を広げることにもなります。
「裏切られた」から敵対するというのも、本当にもともと騙す計画で行われたことがらと、それぞれの常識からはずれたことをしたから「相手が裏切った」と思うことがらがあります。自分の日常にはない行動をとったからといって、すぐさま疑いを抱いたりするのではなく、どうしてそういう風になったのかを色々と思いやってみるのも大切なことですね。 近年、その訓練を沢山してきています。自分の気持が強いほど誤解してしまったり。客観的になれる心の強さは、大切なことになればなるほど持たないといけませんね。
お話いただいたことからずれてしまいましたが、感想方々、お礼まで。ありがとうございました。
10月31日0:33投稿の匿名様
記事【現状をきちんと把握する事】を投稿しましたので、ご覧下さい。
baseheat様
『平田篤胤』と名乗る霊からのコメントを預かりました。
「まだ通信が安定しておりませんので、皆様に上手く私の意図が伝わるのか心配でございましたが、私のお話があなたのお役に立てたのでしたら、それはとても嬉しい限りです。
これからも折に触れてお話させていただく機会があるかと思いますが、少しでも皆様のお役に立つお話ができればと思っております。
まことにありがとうございました。」
いつもコメントをあげていただき有難うございます。
読むのを楽しみにしています。
恥ずかしいことですが、去年の選挙で民主に入れてしまった自分がいます。
ただ結界の開放とほぼ時を同じくして目覚め、少しずつですが周りの人たちに、分かってもらえる様行動しています。
今、別のブログ等で在日の方々の意見の工作活動を見るにつけ、余りの自分勝手さと傲慢な態度に、本当に意思の疎通は出来るのかと悲しくなります。
彼らのほうが本国にいる人々よりも、正しい情報が入ると思うのですが。
それで質問いたします、韓国にも正しい歴史を発信している方がいらっしゃる事は知っていますが、どの程度の方々が分かっているのでしょう。そして何時になれば自分たちも愚かであったと気付くのでしょうか?
霊的な立場の今の韓国の状況を教えてください。
よろしくお願いします。
NK様
霊界の住人からの回答はありませんでしたが、以前投稿した記事から関連事項をご紹介いたします。
以前『洪思翊』と名乗る霊が、記事【洪思翊霊との対話】において「騒いでいるのは極一部の人」と述べております。
この時は韓国内の反日の風潮全般についての言及ですが、歴史問題も基本的には同様と理解しております。
韓国の歴史教育は反日感情を煽る方向に偏向していると聞きますが、日本の歴史教育の例を見る限りでは、実際に教育を受ける側がどの様に受け取るのかは別問題でしょう。
日本で学生時代は自虐史観に染まっていても、社会に出てから認識を改めた方は少なくないと思います。
また、いつになれば愚かさに気付くのかとの質問ですが、それは霊界の住人が述べるべき事ではなく、韓国の方が自ら判断する事です。
偽りの歴史教育で反日を煽る事が、彼らにとって都合が悪いと判断すれば止めるでしょう。
今は日本の反応が卑屈に過ぎるので、歴史教育を改めなくてはならない理由を感じていないのではないでしょうか。
ちなみに在日韓国/朝鮮人の方については、上記記事にて洪思翊霊が「日本に帰化するつもりがなければ、祖国に戻って今後のために尽くすのが一番良い」と述べております。
上記記事をご覧の上、疑問がございましたら改めて質問をお寄せ下さい。
管理人様 ご返答を有難うございます。
実を言いますと、以前【洪思翊霊との対話】を読ませて頂いたとき、韓国は子供だから甘えているだけで、甘やかしている日本のほうが悪いと言われることに違和感を感じ、余りにも身内意識が強くないか?
日本も甘やかしている訳ではなく、償いをしているとの思いが強かったのではないか?
日本のマスコミにしても、勝手に異常に持ち上げているわけではなく、そういう風に利用しようとの意思があっての結果だ、と思っていました。
ただ今回、管理人様や匿名の方々のご意見を読みついで行くに付け、わたくしの意見なんて八つ当たりかもしれない、洪思翊様ご自身が、よほど自国や在日の人々に悲しい思いをなさっているのかもしれない、と言うことに思い至りました。
かって祖国のために、日本人として戦われた方なのに、理解いたしました。
今の状況を乗り切ることが出来、また政権交代が適えばかならず、国内については良い風に変えていけるとの思いを強くしました。
有難うございます、また宜しくお願いいたします。
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