■ baseheat様の質問
(前略)
ひとつ、まるで今回のお話とは関係ないので、もし今に関係があるのならうかがいたいことがあります。明治天皇、昭和天皇のお二方とも、時代の節目に崇徳天皇にご挨拶にいらっしゃっていたかと思いますが、崇徳天皇は日本の何かに深く関わっていらっしゃる方なのでしょうか。
明治天皇は1868年の即位の礼を執り行うに際して勅使を讃岐に遣わし、崇徳天皇の御霊を京都へ帰還させて白峯神宮を創建されたとのこと。昭和天皇は東京オリンピックの開催に際して、崇徳天皇陵に勅使を遣わし、崇徳天皇式年祭を執り行ったとのこと。明治の始まる時と、昭和の戦後、日本の高度経済成長のシンボルともいえる東京オリンピックの時代、どちらも時代が大きく変ろうとしている時に、崇徳天皇に関わっていらっしゃるな・・・と思いました。
その崇徳天皇は伝説に〔讃岐に流された後の生活で、仏教に救いを求め写経をするに至ったほどだったのだが、その真心を踏みにじられせっかくの写経本に「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」「この経を魔道に回向す」と書き込んだ〕という話が残っています。能の演目としても取り上げられているのですが、そこでは怨霊ものというよりは、時代の波の中、志半ばで崩御されたお話として含みを残しています。 二度も日本の大きな時代の節目に祀りが行われた崇徳天皇という方は、本当のところどのような方だったのか、何を志していたのかを知りたいと思いました。
■ 『崇徳天皇』と名乗る霊の回答
「今回はこのような形でお話の場を設けていただきまして、まことにありがとうございます。
Baseheat様からの折角のご要望でございますが、生前の考えをお話する事にはあまり意味を感じませんので、今現在の私が考えている事をお話させていただきたいと思います。
過去の経験の蓄積があって、今の私があるのだという事を考慮に入れていただき、お話を聞いていただければ幸いでございます。
己を守る事のみを考え、矜持や対面を維持する事には何の意味もありません。
多くを守り、生かす為のものである必要があります。
それは、個人でも国でも同じ事が言えます。
己のみを思い、周囲を顧みない者は、結局、争いや裏切りの果てに死を招く事となります。
繁栄を手に出来るのは、ほんの一時の事です。
その後には、荒廃と死が付き纏います。
己のみを思うその心根が、結果として己を追い詰め、死に至らしめる事になるのです。
多くを生かし、共にある喜びを求めた先にあるのは、安定と繁栄であります。
違う考えや性質を持っている事は、決して悪い事ばかりではありません。
それらの違いを超えた先にある繁栄は、より強固なものとなり、揺るがされる危険も少なくなります。
違う者同士が協力する事で、より多くの可能性を生む結果となるのです。
それらの違いを生かし、より安定した繁栄を共に享受する為に今出来る事を考え、あらゆる可能性を模索し続ける作業はとても重要な事のように思います。
最初から可能性を考える事を放棄しては、何も成す事は出来ません。
今の日本は、諸問題に対し『もう放棄するしかない』と、匙を投げるほどに可能性を試してはいません。
可能性を充分に試さないうちに全てを諦めてしまうのは、とても残念な事であると思います。
敵愾心の表れは、可能性を諦め防御に徹した姿です。
そこには、己のみの生しかありません。
今の日本は、まだ可能性を捨ててしまうには早すぎます。
国内問題においても国外問題においても、まだ共存共栄出来るだけの可能性が残されております。
共に生きる道を模索し続け、それらの提案を受け入れていただける余地を探し続ける必要があるように思います。
当然、生かす事が目的ですから、違法行為により脅かされている部分に関しては適切な対処が必要です。
厳しいルールを設けながらも、そのルールを守った先にある安定と繁栄を理解していただけるような努力は必要であると思います。
言葉では通じないのであれば、実践して見せるのが一番です。
日本国民が率先してそれらを実践し、安定と繁栄を実現する必要があります。」
(2010年7月29日)
この度、baseheat様の求めに応じる形で、『崇徳天皇』と名乗る霊からのメッセージを始めてご紹介する機会を得ました。
また、今回預かった回答に添えて「(メッセージの内容が)他の方と重複してしまうかも知れない」とのコメントがあり、その点を気がかりに思っていたようです。
しかし、複数の霊界の住人が重ねて強調するということは、その点が霊界の住人全般として重視している事柄であり、なおかつ私たちには不足しているように見えるので、あえて度々注意喚起を促しているのだと思いますが、いかがでしょうか。
【Silvercord】管理人
8 件のコメント:
崇徳天皇であらせられた方よりお話をいただけるとは、思いがけず、かたじけなく思います。
「言葉では通じないのであれば、実践して見せるのが一番です。日本国民が率先してそれらを実践し、安定と繁栄を実現する必要があります。」
お話いただいた内容、ことに上記引用の部分について、国ごとの交流においても、またそれぞれの場においても、個人単位でのことでも根本は同じだと思いました。
これもまた経験則なのですが、仕事において「どうせそんなことをしても~だから」と感情的に否定をして、自らと周囲の士気まで下げてしまっている人が居ました。私はやろうと志したことが最善だと思えるとき、それならば自分でまかなってできるとふめる時は、止められない限りそれをやり遂げることに注力します。そうやって「ムダなこと」と言われても、何度かやり抜いてみせた時に、周囲の人々が(気の毒に思ったのかもしれませんが)少しずつまねてやり始め、それになりに成果が出ました。その時には、最初に「どうせ~」と言っていた人も何かしら前向きに協力しようというそぶりはみせてくれました。
敵であれ、味方であれ、生きる人々の心を腐らせるようなことを延々と続けるようでは、本末転倒になりますね。心が共に育つような提案を言葉でも行動でもしていきたいと思います。
管理人様、霊媒様、
お手間をかけました。ありがとうございます。
いつも大変興味深く拝見させていただいております。
不躾ながら、この記事とは関係ないのですが、質問させていただきたいことがあります。
もし可能ならば、昭和天皇あるいは明治天皇を名乗られている御霊にお答えいただけると大変ありがたく思います。
あまりに不躾で不適切と判断されれば、このままうち置かれていただいてかまいません。
質問と言うのは、ここ数年私がずっと考えていることのひとつなのですが、平成の日本に生きる私たちは、男系天皇を維持するべきか、女系天皇を容認する方向に移行するべきか、というものです。
小泉氏が総理大臣在任中に大変盛り上がっていた皇室典範の改正に関する議論は、悠仁殿下ご誕生により、あっけなく沈静化しました。
しかし、それも悠仁殿下の奇跡的とも言えるご誕生による一時的な安堵によるものであり、天皇という御存在をお守りするためには、いずれいくばくかの改正は必要であることは明白であり、今日でも識者の方々が言論誌等を通して議論を続けていらっしゃいます。
そんな中、小林よしのり氏が著した「天皇論」「昭和天皇論」の2冊の本は、大変なベストセラーとなり、今まで天皇について無関心、無知であった人々(私も含め)に、日本における天皇と言う御存在のありがたさ、その意味の深さ等々を分かりやすく教示してくれるものでした。私もこの2冊を読み、改めて、いや初めて心の底から天皇と言う御存在について畏敬と感謝の念を抱きました。特に「昭和天皇論」の中の、戦後の御巡幸を描いたくだりでは、国民の平和のみを祈ってくださる昭和天皇の深い御心に大変感動し涙いたしました。
小林よしのり氏は、保守系の活動家であり、その知識・教養の深さ、切り口の鋭さには、その辺の識者を圧倒するものがあり、私も氏の意見には同意するところが多く、注目してきました。
ところが、これまでの氏の論調から明らかに違和感を感じざるを得ない主張が、今回質問させていただきたい、天皇の男系維持か女系容認かの問題なのです。
氏は、「側室制度がない以上、男系維持は不可能であり、皇室を維持するためには男系維持にこだわるべきではない。もともと女性神である天照大神が皇祖神なのだから、日本の天皇は女系だったとも言える。よって皇統は一貫して男系だったわけではないのだから、女系容認の方向でいくべきである。また、今上天皇もそれを望んでおられるはずだ」という主旨のことを言います。
これに対して、その攻撃対象の一人である新田均氏は、「皇統は神武天皇以来一貫して男系であった。今日まで保持してきた男系は将来にわたっても維持されるべき(何千年も続く男系の天皇は、世界遺産級である)。そのために旧宮家系男子が皇籍を取得できるよう皇室典範を改正すべき」と反論しています。
しかし、小林氏は男系維持論者をカルト扱いし、罵詈雑言を浴びせて全否定・批判しており取り付く島もなく、保守系の各雑誌で両者の論戦が繰り広げられております。
私個人としては、さまざまな危機を乗り越えて、永きにわたる男系を維持してきた天皇と言う御存在には、人智を超えた深い意図があるように思えるのです。また遺伝子的にも、Y染色体論というものがありますし(小林氏はこの主張はもう崩れていると言ってますが)・・・何しろ、男系維持を主張する渡辺昇一氏や新田均氏の論に頷けるものが多いのです。
平成に生きる我々日本人は、今後男系を維持するように尽力するべきか、それとも女系を容認するべきか、御教示いただけると大変ありがたいと思います。私たちは、今上天皇のご本心を知る方法が一切ありませんので・・・。
またできれば、小林氏が重要視していない、悠仁殿下ご誕生にはいかなる意味があるのかもお尋ねできたらと思います。(私は今思えば、神々の何らかの深い意図によるご誕生だと思っています。それこそ、男系を維持できるようにと・・・)
長くなりました。お手間を取らせますが、ご回答をいただけることが可能ならば、よろしくお願いいたします。
管理人様
おはようございます。いつも記事をありがとうございます。
崇徳天皇陛下のお言葉に感じるところがありましたので感想を述べたいと思います。
> 今の日本は、諸問題に対し『もう放棄するしかない』と、匙を投げるほどに可能性を試してはいません。
> 可能性を充分に試さないうちに全てを諦めてしまうのは、とても残念な事であると思います。
確かに、日本人がこうした軽率さを卒業して、もう少し物事の奥を深く見極める習慣を付ければいろんな意味でよくなるのかもしれません。
戦前は確かに日本に対するABCD包囲網で石油等を禁輸されて追い詰められた後、自衛の為とは言え勝算が非常に薄い対米戦争に踏み切る前にもっと成すべきことがあったのかなと思います。
例えば、国際連盟を怒って脱退しておりますが、当時もう少し冷静に判断できなかったのでしょうか。
国際連盟が日本を追い出すというのなら別ですが、1か0みたいな二極的な選択ではなく、いろんなことを想定してしっかり対策することで大きな戦争突入を避けられたのではと思ったりいたします。
その当時あれ(国際連盟脱退から開戦まで)は避けられないことであったのでしょうか。それとも短慮を諌めもっと慎重に対処する別の道があったのでしょうか?
当時を生きられた方にご回答頂く機会がございましたら嬉しく思います。
まあ、当時の政治外交の状況を生きていないわたくしごときが論じることではないのは承知しておりますが、今日においても理由がはっきりしない日本の未来に対する悲観論をブログやHPで散見いたしますので、当人たちの心境を理解はできるとはいうものの、その次に自分はどうするか、自分はどう変ることによって次の状況を生み出せるかという視点が欲しいところです。
これは実に私個人への戒めも含んでおります。
もちろん0の状況をいきなり100に転換することは直ぐには不可能であっても、段階を経ていろんなことを実現する方法はいくらでもあるでしょう。
エベレストに無酸素で初めて登った人も最初は近所のお山でのハイキングからスタートしたはずです。
少しずつでも継続が大切ですし、自分の進むべき方向を少しずつ修正を掛けブレが少なくなるようにバランスを取ながら一歩一歩進むしかなさそうですね。
高所登山ではルート取りが命取りに結びつきます。また危機に陥った時、最後まで諦めない強い精神が生死の分かれ目なのでしょう。
私たちの精神が諦めないのであれば、きっと正しい方法は見つかるはずですし、最初は冷ややかに見ている人たちもこちらの姿勢を見て判断するでしょう。
周囲を動かすのは自分の心次第です。
ある意味時代の境目なので悲観的に見てしまいがちの周りの傾向の中で、周囲と違う意見、未来を自分たちが創造しているという意志を持つことの重要性は言うまでもありません。
ありがとうございました。
baseheat様
評論家は『出来ない。駄目だ』と無責任な感想を述べていても務まりますが、実務を担う方が『出来ない。駄目だ』では仕事になりませんから、どの様な手段を取るのであれ、現在発生している問題を解決しなくてはなりません。
マスメディアが社会的影響力を持つことにより、マスメディアに登場する『評論家』の無責任な悲観論に同調する方が増えてしまったのは、現代の日本にとっては残念なことです。
ご自分で日常業務に取り組む際には実務的に対応している方でも、こと政治に関しては評論家的な発想に囚われている場合が少なくありませんから。
tama様
ご質問は承りましたが、その件に付いては少々入り組んだ事情があるようです。
ちょうど夏休みの間に霊媒と面会する機会がありますので、回答はその時まで延期させて下さい。
管理人様
現時点で公表できる範囲でかまいませんが、お手間を取らせてしまう質問だったことに申し訳ない気持ちでおります。
回答を待たせていただくことは全く問題ありませんので、どうぞよろしくお願いいたします。
8月1日9:27投稿の匿名様
記事【経験の積み重ねこそが未来の可能性を広げる】を投稿しましたので、ご覧下さい。
tama様
大変お待たせいたしました。
記事【皇位継承の女系容認論について】を投稿しましたので、ご覧下さい。
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