【大東亜戦争の真実②】
「南京大虐殺」はデッチ上げであるについて
これはもう、話題にするまでもなく、きちんと当時の資料が残されているので、それを検証すれば明らかになる事だ。
問題なのは、事実に即さないファンタジーをデッチ上げ、哀れを装う人間にほだされてしまった事なのだ。
どんなに情に訴えようと事実はその逆を示しているのだから、ほだされてしまう方がどうかしているのだ。
過ちを指摘されて反省できるのは日本人の美点であると思うが、事実ではないファンタジーに踊らされて相手の言いなりになるのは、とてもではないが賢明であるとは言えないであろう。
ファンタジーをデッチ上げた相手を責める前に、まず己の無関心を反省すべきであろうと思うのだが…。
――何しろ、長年に亘りこのような子供騙しに付き合った挙句に、相手を付け上がらせてしまったのだから。
確かに長年に亘り、外国勢力による工作活動や干渉などがあったのは事実だろうが、これはあくまでも自国の問題であり、いつまでも他国に責任転嫁していては、同じ過ちを繰り返すばかりなのだから。
(2010年1月15日)
ここで三島由紀夫霊は、「南京大虐殺は事実に即さないファンタジーに過ぎない」と断じ、その上で事の真偽よりも情によって動いてしまう日本国民の姿勢を問題視しております。
私も、田母神氏の主張にはある程度同意し、理解できる点はあるのですが、今回のテーマを含めた全般について、主に「周辺国の日本に対する内政干渉によって、日本が不当な扱いを受けている」というニュアンスが色濃く感じられます。
しかし、本当に重要なのは、「これまでの日本人は、何故外国人の不当な要求を受け入れてきたのか」と言うことであり、「何故そうなったのかには目を向けずに、今可哀想な状態にあるからと外国人を甘やかしてきたのか」という事です。
三島由紀夫霊は「情にほだされる」と一言で表現しておりますが、現代の日本が外国との関係で抱えている問題の多くは、「情によって理を曲げてしまう」日本人の情緒的な側面に原因があると考えております。
ダメなものはダメと言い、日本人に対して嘘をつくことがとてつもないリスクになると、周辺国の人々に認識を改めてもらうような姿勢を示さなければ、今後事態が悪化することはあっても、「いつかきっと相手に理解してもらえる」時など、未来永劫訪れないのです。
今の日本国民の皆様にとってはとても大切なことですので、三島由紀夫霊の意見に重ねて強調しておきたいと思います。
三島由紀夫霊 & 【Silvercord】管理人
2 件のコメント:
更新速度が速くて、すべての紹介にコメントできないのが残念ですが、代表してこちらに投稿させて頂きました。
何故こんな理不尽な言い掛かりにNOが言えないのか、自分なりに考えてましたが、明治維新以降、世間知らずだったのも原因の一つかもしれない、と感じます。
自分とは根源的に考え方が違う人間が、この世には存在する、という認識が足りず、日本人相手で通じる方法でずーっと続けてしまったのが、現在の問題でしょうか。
メールでよく話題にしているマクロビオティックの理論を日本の国土に当てはめて考えると、もう少し深く考えられます。(内容が専門的になることはお許し下さい)
世界有数の広い海を領土に持つ、火山活動で生まれた小さな国土を持つ我が国は、強い陰性を持つ海に囲まれた極陽の土地、という解釈ができます。(※個人的な解釈です)
中川昭一さんが生前によく「日本人は、あつものに懲りてなますを吹く」と嘆いてましたが、両極端な国土を持つ以上は避けて通れない性質です。
とはいえ、限界までガマンして、いきなりキレて敵を完膚なまでに叩きのめす性質は、そろそろ改めないと世界が迷惑します。
なら、どうすればバランス良く中庸に持って行けるか・・・
・・・具体的な方法はまだ思い浮かびませんが、価値観が共有できる国々とフェアに連携して、極陽の狭い土地から外に外に伸びていくように持って行くのが最適なのかな、と感じます。
自由と繁栄の弧は他の国にとっても利益がありますが、外に出て陰の性質を取り込めるという意味で日本にも大事な概念なのかもしれない、と考えています。
はつゆき様
とても興味深いご意見を頂きましたので、私からも一言述べておきたいと思います。
今後日本が『自由と繁栄の弧』を始めとした価値観外交を推進する際に、幾つかの必要条件があると思います。
まず、日本国内で『自由と繁栄の弧を作ろう』という有権者の過半数の支持がなければ、継続的に同一の外交政策を採り続けることは出来ません。
そして、別々の国の人々が価値観の摺り合わせを行なうには、多くの時間が必要となります。
ですから、ある程度の長期間にわたって国民が『自由と繁栄の弧を作る』外交政策を支持し続けられるように、国内での議論が深められている必要があります。
また、お互いの人となりに対する理解を深めた上で、共感できる部分とそうでない部分について知る必要があります。
その上で、共感できる部分については、先行して共同作業を行なうことで、利害の共通化が図れます。
一方、共感できない部分については、時間をかけて徐々に理解を深めて行く以外に解決法はないと思います。
では、幾ら私たちが理解を深めたいと思っても、相手にその気が無い場合はどの様にすればよいでしょうか。
その様な相手とは距離を置いて、連携できる相手と連携できる分野で協力関係を深めればよいのです。
別に我慢して相手の不当な要求を呑む必要はありません。
今までの日本外交では、この点が実行できていなかった為に、様々な外交上の軋轢を生む原因になっていたと思います。
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