2010年2月1日月曜日

三島由紀夫霊が『田母神塾』を読んでみた(その8)

今回のテーマである「対華21ヶ条の要求」とは、第一次世界大戦中に日本が、当時の中華民国の袁世凱政権に突きつけた要求と希望なのだそうですが、これを当時の中華民国に対する不当な要求だとする意見もあれば、田母神氏のように当時の状況を考えれば当り前の要求でしかないと言う意見もあります。
果たして、『三島由紀夫』と名乗る霊は、田母神氏の意見についてどの様な見解を取るのでしょうか。





■ 「対華21ヶ条の要求」では当たり前の主張しかしていないについて

ここで説明されている事は、確かに当時の日本の状況としては当たり前の主張だったのであろうし、同じ事をしてきた国にとやかく言われる筋合いのものでは無いだろう。
だがしかし、これはあくまでも強者の言い分である事を私たちは忘れてはならないように思う。
それを受け入れる立場の国には、そこには様々な思惑があるにしても、やはり屈辱である事は否めない。
その感情は、終戦後の日本が置かれていた立場を想像してみれば容易にわかることだろう。

ただ、西欧諸国と日本では、権益の行使の先に思い描いていた構想が全く異質のものであったという事も抑えておくべき点では無いかと思う。
日本はアジアの発展を願っていたが、西欧諸国は自国の利益を願っていた。
この違いだけは、知っておく必要がありそうだ。

外交交渉は、弱腰では自国の優位を勝ち取る事はできない。
だから強気で交渉に臨むのは当然の事なのだ。
最初は自分たちが要求したいものよりも大きな要求をしたうえで、徐々に自分達が本来要求しているところまで条件を下げていくのが普通の交渉の仕方だろう。
あるいは、本来の要求よりも小さく出て徐々に上げていくかだ。
まあこれは、受身の立場の場合だが。
最初から、自分達の懐具合を有りの儘(まま)相手に見せるような下手な交渉をすれば、相手のいい様に手玉に取られるのが落ちだ。
その後も舐められっ放しで、まともな交渉など出来ない事だろう。
是非、現政権にはこのような愚かな事はしないように努力して欲しいものではあるが、今更もう遅いか…。

(2009年11月6日)





私は日本国民の一人でありながら、日本という国のとても不思議な側面に考えさせられる事があります。
一見、交渉ごとがとても苦手ではないかと思いがちですが、その割には比較的少ないリスクでそれなりの旨みを享受している事も少なくないのではないでしょうか。
狙っているのか、天然なのに運だけが強いのかは分かりませんが、注意深く観察してみると日本外交は意外と強かなのかも知れませんね。

三島由紀夫霊 & 【Silvercord】管理人 

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